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〈第278回〉パゾリーニの意外な特技-ラウラ・ベッティ監督“Pier Paolo Pasolini e la ragione di un sogno”

Pier Paolo Pasolini e la ragione di un sogno

イタリア語原題日本語訳 ピエル・パオロ・パゾリーニと夢の理由

監督 ラウラ・ベッティ Laura Betti
音楽 ブルーノ・モレッティ Bruno Moretti
公開年 2001年

 パゾリーニ作品の出演者であり、パゾリーニや彼の家族とも深い親交があった
女優ラウラ・ベッティが制作したドキュメンタリーです。


 ラウラ・ベッティ “Sbatti il mostro in prima pagina”1972年

 とはいうものの、バイオグラフィーにしてはきっちり年代を追っていないうえに完結もしていない、
フィルモグラフィーにしては整理されていないし…

 パゾリーニの映画作品やニュースなどの動画、写真、出版物を使って、シーンによっては合成までして構成された、
パゾリーニをテーマにした作品というところでしょう。

 そういう作品なので、当館主が印象に残ったシーンを見ていく形の紹介にします。


1975年11月2日。
パゾリーニの遺体が発見された、海にほど近い
イドロスカーロ・ディ・オスティア Idroscalo di Ostia。


遺体発見現場に集まった近所の人々。
大人は一様に、パゾリーニ殺害に驚き、恐怖に凍り付いた表情で質問に答えているのに対し、
子どもたちは笑っています。


「パゾリーニって知ってる?」という質問に対して
「知らなーい」の答え。
 パゾリーニが亡くなったことを分かっている子どももいます。


パゾリーニとエズラ・パウンドの対談。


パゾリーニはエズラ・パウンドをデッサンし始めます。

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なかなか良い出来。

パゾリーニは絵が得意だったんですね。


パゾリーニの葬儀のようす。

一目見ようと集まった人々があふれかえり、その中を関係者が担ぐ
パゾリーニの棺が進んでいきます。


号泣するニネット・ダヴォリ。


サッカーに興じるパゾリーニ。
メンバーにフランコ・チッティら、パゾリーニ作品の常連の顔も見えます。
この試合のチーム名は『1900年』と『ソドムの市』。

   ☆      ☆  

 パゾリーニに限らず、イタリアの映画監督や男優は
(イタリア人男性の多くは、というべきか)本当にサッカーが好きですね。
 それも観る以上に、自分で遊ぶのが。
 子ども時代の遊びで終わらず、大人になっても、ボールを蹴って遊んでいる
写真は結構見かけます。

 この作品を観て一番の収穫は、パゾリーニが絵が得意だったということです。

 瞬間的に対象物の特徴を捉えて表現していく-
 さすが詩人ですね。



 パゾリーニといえば、この頬杖ポーズ。

   ☆      ☆  

2021年10月20日 (水)

〈第277回〉ジュリアーノ・ジェンマ アフガンの英雄を演じる?-“Why Afghanistan?”

 米軍の完全撤退で、またまたタリバンの支配下に戻ったアフガニスタン。

 反射的に思い出したのは1979年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻。
 西側諸国のモスクワ五輪ボイコットで強烈な記憶が残っています。

 ソ連軍はアフガンの激しい抵抗に遭って戦闘は長期化。
 ソ連の崩壊へとつながっていきます。

 その最中、1983年11月22日付“La Stampa”に、
 『ジェンマ 反ソビエトの英雄』 という映画紹介記事が掲載されています。



 タイトルは “Why Afghanistan? ”

 ジュリアーノ・ジェンマが反ソビエトの英雄、サライ将軍を演じるとあり、
共演者はイレーネ・パパス。

 サウジアラビアの銀行家が2000万ドルの資金を供与して制作されたモロッコの
反ソビエトの政治的作品。
 監督は アブデラ・マシャブル Abdellah Mashabl で、モロッコで撮影される…


 ところが、ジェンマのフィルモグラフィーには“Why Afghanistan?”はありません。
 1983年の数年後まで範囲を広げても、それらしい作品はありません。
 イレーネ・パパスのフィルモグラフィーにもありません。

 本当に“Why Afghanistan?”という作品は制作されたのでしょうか?
 “La Stampa”のガセネタ?

 謎です。


  “L'avvertimento”1980年

 ★  ☆      ☆  

2021年10月 5日 (火)

〈第276回〉三面記事のヴォロンテ その6  ヴォロンテ教壇に立つ

   1981年。
 開校したばかりのジェノヴァ劇場 Teatro Stabile di Genova の演劇学校に、
当劇場責任者で演劇ジャーナリストのイーヴォ・キエーザ Ivo Chiesa が、
ジャン・マリア・ヴォロンテを教授として迎えます。

 1期生は18歳から24歳までの熱心な俳優志願者たちでした。



 ヴォロンテの授業はどんな内容だったのか、ほとんど知られていません。

 ヴォロンテを招聘したイーヴォ・キエーザは、ヴォロンテという俳優の
「奇抜で予想もできない、それと同時に非常に厳格な」魅力を体験してくれればよし
という考えだったようです。(La Stampa 1981年2月18日付)

  その報道から2ヶ月も経たないうちに
「ヴォロンテとジェノヴァ劇場との間で論争が起こった」(La Stampa 1981年4月8日付)と
伝えられ、その後、教授ヴォロンテに関する記事は見当たりません。

 お天気屋のヴォロンテらしいこと。

 ヴォロンテのインパクトは、俳優志願の学生たちにしっかり伝わったことでしょう。
 ただ優秀な学生はいましたが、演劇界や映画界から一本釣りされるような、
オーラのある学生はいなかったようです。

   ☆      ☆  


 ジェノヴァ劇場には劇団もあります。
 エンリコ・マリア・サレルノ、ガストーネ・モスキン、アルベルト・リオネッロらが所属し
このジェノヴァ劇場での演技が注目され、映画やテレビドラマに進出していきました。

 彼ら以外にも、ヴィットリオ・ガスマン、モニカ・ヴィッティ、マリアンジェラ・メラート、
ジョルジョ・アルベルタッツィ
ら、イタリア演劇の名だたる名優がジェノヴァ劇場の舞台で演じました。

 ちなみに、ヴォロンテは若い時期も含めて、ジェノヴァ劇場の舞台で演じたことはありません。

 そういうことからも、1期生にヴォロンテの授業をというよりは、ナマのヴォロンテを感じさせる
のが目的だったことが分かりますね。

 *写真はいずれもマウロ・ボロニーニ監督“La Certosa di Parma”(1982年)。

   ☆  ★    ☆  

2021年9月24日 (金)

〈第275回〉バカを見るのはいつも下っ端 - フロレスターノ・ヴァンチーニ監督“La violenza: quinto potere”

La violenza: quinto potere




イタリア語原題日本語訳 暴力 第五の権力

監督 フロレスターノ・ヴァンチーニ Florestano Vancini
脚本 マッシモ・ファリサッティ Massimo Felisatti e gli altri
音楽 エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone
公開年 1972年

出演者 エンリコ・マリア・サレルノ Enrico Maria Salerno(検察官)
           ガストーネ・モスキン Gastone Moschin(コロンネージ弁護士)
           リッカルド・クッチョッラ Riccardo Cucciolla(サレーミ教授)
           マリオ・アドルフ Mario Adorf(アメデオ・バルレーゼ)
           チッチョ・イングラッシア Ciccio Ingrassia(ジャカローネ)
           アルド・ジュッフレ Aldo Giuffre'(ジュゼッペ・サレーミ市長)
           マリアンジェラ・メラート Mariangela Melato(ロザーリア・リカータ)
           グイード・レオンティーニ Guido Leontini(ヴァチルカ)
           ジョージ・ウィルソン Georges Wilson(クルーピ)ecc.



シチリア。
ヴァチルカはあるグループの一員から殺人をしつこく依頼され、やむなく引き受けます。


法廷。
被告席のヴァチルカの口頭弁論。
ヴァチルカは殺人依頼の時点から話し始め、その殺人が誰の利益になるのか
察していたと述べます。


(ヴァチルカの回想)
依頼どおり、ヴァチルカは農場に現れた男を射殺します。

ヴァチルカはその後も、同グループの他の男から依頼があり、引き受けたと語ります。


建設業者アメデオ・バルレーゼの弁護士コロンネージは、
ヴァチルカを責め立てるような口調で質問を浴びせます。


検察官は一連の殺人事件を、当該地で計画されているダム建設をめぐる2グループの抗争であり、
ヴァチルカへの依頼主から組織上部に至る責任を追及しようと考えています。


一連の殺人事件で運転手役を務めたジャカローネは、大家族を養うために依頼を引き受けました。

ヴァチルカとジャカローネが依頼主として名前を挙げたのは、バルレーゼ派のメンバーでした。


バルレーゼも被告席で陳述を行います。

バルレーゼは建設業者。くだんのダム建設プロジェクトを落札する腹づもりでいます。


(バルレーゼの回想)
バルレーゼは、夜の街で襲撃に遭う事件に見舞われたことを話します。
ダム建設賛成のバルレーゼを狙ったのは?


次に証言台に立ったのはサレーミ教授でした。


(サレーミ教授の回想)
サレーミ教授の弟で市長だったジュゼッペ・サレーミ。
そのサレーミ市長の事務所に…


クルーピが上院議員と連れだって訪ねてきます。

クルーピはこの地の裕福な地主でエンジニア。
ダム建設により農地を失う恐れがあるため、ダム建設反対の立場。

クルーピは、サレーミ市長の党に自分の仲間を入党させたいと申し出ますが、拒否されます。

サレーミ市長は貧しい人々を豊かにするダム建設が承認されたことを歓迎していました。

2
サレーミ市長が護衛を伴って帰宅途中、不審人物に尾行され、殺害されます。
その様子を目撃した子どもも、口封じのため撃ち殺されます。


サレーミ市長殺害のために刺客を送った容疑で被告席に着いたクルーピ。
しかし、クルーピは知らぬ存ぜぬ、関係ないと、しらを切ります。

巻き添えになった子どもの母親も証言に立ちますが、何かを恐れて沈黙したまま。


続いて証言に立ったのはロザーリア・リカータ。


(ロザーリア・リカータの回想)
リカータの店近くで待ち伏せしていた車内から、通りかかった車が襲われます。
車外に逃げた車の主を押し倒し、口に拳銃をねじ込んで発砲したのは…


アメデオ・バルレーゼでした。


その一部始終を目撃してしまったリカータの夫は店舗内に隠れ、
自分が目撃したことをロザーリアに話します。

ロザーリアの夫もまた、殺害されてしまいます。


バルレーゼの弁護士は、ロザーリア・リカータの夫が殺されたのは
男女関係のもつれが原因だと決めつけ反論します。
怒り狂ったロザーリアは弁護士に猛反発し、バルレーゼをにらんで人殺しと言い放ちます。


拘置所の独房にいるジャカローネのもとに、差し入れが届きます。
お菓子に紛らわせて入っていたのは、折りたたみナイフでした。

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再びヴァチルカが被告席に着きます。
ヴァチルカは隠し立てせず、知っている限りの事実を陳述する覚悟でした。

ところが、バルレーゼの弁護士の執拗で挑発的な質問の連続にあって頭が混乱し、
ついにヴァチルカはてんかんを発症してしまいます。


証拠調べがすべて終了した時、裁判長のもとに、
ジャカローネが独房内でナイフで喉を搔き切って自殺した、
という知らせが届けられます。


検察官の論告。
「暴力、国家の第五の権力。他のすべての人々を一つにまとめ動かし、
 他のすべての人々を服従させ腐敗させる。

 この裁判で私たちはセンセーショナルな一例を目の当たりにしました。
 おどおどした証人、語りたがらない犠牲者の親族、自殺するほど恐れおののいた被告、
 不可解にも消えた証拠品。

 これがマフィアです。」


判決が言い渡されます。
バルレーゼを筆頭に告訴されたメンバーは無罪釈放。

ヴァチルカだけを殺人罪の犯人と認定し、懲役30年が言い渡されます。


無罪を勝ち取ったバルレーゼは、新聞記者たちを前に笑いが止まりません。

その後、バルレーゼ派は白昼堂々とクルーピ派つぶしを再開するのでした。


   ☆  ★    ☆  

 主舞台は法廷。
 被告人や証人の陳述が回想として挟み込まれる形で展開していきます。

 観ていて、すごく疲れます。
 登場人物の激しい口調の陳述や弁護が、私たちに与えるストレスは相当なものです。


 冷静に証言を引き出して元凶(マフィア)の罪を問おうとする検察官。


 憎たらしいほどに執拗に質問を証人に浴びせかけるバルレーゼの弁護士、コロンネージ。


 恐怖で躊躇しながら証言する実弟を殺害されたサレーミ教授。



 貧しさから依頼を引き受け、一連の殺人事件で有罪判決を受けたヴァチルカ。

 大家族を養うために犯罪に手を貸し、拘留中の独房に送り込まれたナイフで自殺を強いられたジャカローネ。


 ダム建設プロジェクト大賛成の建設業者バルレーゼ。

 殺害を目撃した夫を殺されたロザーリア・リカータだけが、真犯人に立ち向かいます。

 当時大量に撮られた娯楽系のマフィア作品とは全く違う社会派作品なのですが、
ヴァンチーニ監督の作品としては高く評価されていません。

 ただし出演者たちがアップで語るシーンはいずれも熱演で、一見の価値ありです。

   ☆      ☆  

 イタリア語原題にあるように、原作者ジュゼッペ・ファーヴァ Giuseppe Favaは、第五の権力を「暴力」としています。

 では、第一から第四は何?
 国家権力とは、立法権、行政権、司法権の三権。中学公民で習った通りです。
 第四の権力とは… マスメディア。

 そして、第五が「暴力」というわけです。

 現在、第五の権力は「SNS」といわれています。
 考えてみれば、確かにそうでしょう。相手の顔が見えない暴力ですから。

   ☆      ☆  

2021年9月 7日 (火)

〈第274回〉無関心に天の怒り - ピエル・パオロ・パゾリーニ監督“La sequenza del fiore di carta”

La sequenza del fiore di carta

 

イタリア語原題日本語訳 紙の花の一場
          “Amore e rabbia(愛と怒り)”より

監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini
音楽 ジョヴァンニ・フスコ Giovanni Fusco
公開年 1969年

DVD(in Italia)“Amore e rabbia” CG Entertainment SRL

出演者 ニネット・ダヴォリ Ninetto Davoli(リッチェット) ecc.


ローマの町をルンルンん気分で歩くリッチェット。


道路工事作業員にタバコの火を借りたり、オート三輪やバイクに
乗せてもらったりとイケイケ。

手にはどこでゲットしたのか、大きな赤い紙の花一輪。


女の子とも赤い花を持ったまま談笑。

世界で起こった政治や外交の重大事や戦争の悲惨なシーンが、
合間に挿入されたり、シーンに重ねられたりします。


何の悩みも憂慮もないようなリッチェット…


天が叱ります。

しかし、リッチェットには天の声は聞こえません。


爆発音、機関銃を乱射する音が鳴り響き、生首が並び…


無差別に殺害された死体が無数に横たわり…


赤ちゃんの死体。


虐殺された子どもの死体も。


天は世界で起こっている重大事に無関心なリッチェットに、ついにぶち切れ…

リッチェットに死をもたらします。

虐殺された子どもと同じ姿で…


   ☆      ☆  

 1969年のベルリン国際映画祭に出品された“Amore e rabbia”は、
5人の監督によるエピソードで構成されています。

 パゾリーニ監督の“La sequenza del fiore di carta”は3番目に登場します。

 いずれの作品も制作時の激動のイタリア社会を色濃く反映しています。
 それだけに時代遅れの感が強いエピソードもあるのですが、パゾリーニの作品だけは、
わずか10分ほどの短編にもかかわらず、現在の社会にも通じる強烈なインパクトがあります。

 天の声とは?
 国内外で起こっていることに完全に無関心で、ただ脳天気に楽しく生きている人間とは?
 そして、生花ではなく「紙」の大きな「赤い花」とは?

i

 1969年のパゾリーニが寓意しようとしたことは、現在とは異なります。
 しかし、究極の目標は同じです。

 無関心は死に値する- 

 それがパゾリーニ監督のメッセージですね。


“Uccellacci e uccellini”の主演トトについて語るパゾリーニ(1966年)


 なお、他4作品は以下の通りです。

カルロ・リッツァーニ監督    “L'indifferenza”無関心
ベルナルド・ベルトルッチ監督    “Agonia”臨終
ジャン=リュック・ゴダール監督 “L'amore”愛
マルコ・ベッロッキオ監督        “Discutiamo, discutiamo”議論しよう、議論しよう


   ☆      ☆  ★

2021年8月24日 (火)

〈第273回〉三面記事のヴォロンテ その5  ヴォロンテ地方議会議員に当選す

 1975年6月16日、ジャン・マリア・ヴォロンテはラツィオ州地方議会議員に
2万6千票で当選します。

 所属政党はイタリア共産党。

“Il sospetto” より

 当選の知らせを受けたヴォロンテは,ローマのサン・ジョヴァンニに設けられた演台に現れ、
支援者たちとともに喜びを分かち合ったとのこと。

 1975年8月19日付《 La Stampa 》には
 「俳優で初当選議員との会見 
  ヴォロンテ 映画と政治の間ですべきことがたくさんある」
という見出しの記事があります。

 ヴォロンテが力を入れたいと述べていた「文化の地方分権」。
 ラツィオ州の何をどうしたいのかという具体的な話ではないのは、
ヴォロンテのコメント自体がそうだったのか、新聞社の編集に拠るのか…

 この記事に掲載されているコメントの大半を占めているのは、
当時すでにメキシコで撮影が終わっていた“Actas de Marusia: storia di un massacro”の話。

 チリの暴政にNOを突きつけた Miguel Littín 監督の強い意思が高く評価されるのは当然ですが、
「大変に素晴らしい映画」とは手前味噌が過ぎるのでは?

  “Actas de Marusia: storia di un massacro” より

 それから6ヶ月あまり経って…
 ヴォロンテは議員を辞任します。

 ヴォロンテが任期満了まで議員を務めたとは思っていなかったのですが、
その裏付けとなる記事を今まで見つけられずにいました。

 ところが比較的最近ですが、この件について、イタリアWikipediaのジャン・マリア・ヴォロンテの
政治活動の項目に新たに加筆されました。
 以下に訳してみます。

 「私の共産主義の必要性と彼らが私に提起する政治キャリアとの間に溝があると気づいたんです。
    彼らは私を一議員として,党利党略に陥った一政治アニマルにしようとしていました。
    私には研究、批評、民主主義の必要がありました。私のアイデンティティーを失いつつあるとわかり、
    私自身の関係を選択しました。」

 典拠となっている資料が信頼に足るものなのかは現時点では不明ですが、納得の内容です。

 それにしても、政治活動に猛烈に熱を上げたかと思いきや、何かを転機に、
まるで憑き物が落ちたかのように2万6千人の支持を受けて当選した議席を捨ててしまう-

 ヴォロンテの俳優活動でも「熱しやすく冷めやすい」一面はたびたび見受けられるのですが、
公職でそれではまずいですね。

  “Il sospetto” より

 それから17年後の1992年イタリア総選挙。
 ヴォロンテは性懲りもなく、左翼民主党から立候補しています

 結果は落選でした。

   ☆    ★  ☆  

2021年8月10日 (火)

〈第272回〉ウニのトゲは禁断の木の実-エンリコ・マリア・サレルノ主演“L'estate”

L‘estate



イタリア語原題日本語訳  夏

監督 パオロ・スピノラ Paolo Spinola
脚本 ラッファエーレ・アスコーナ Raffaele Ascona
        パオロ・スピノラ Paolo Spinola
音楽  ジャンニ・ボンコンパーニ Gianni Boncompagni
公開年 1966年

出演者 エンリコ・マリア・サレルノ Enrico Maria Salerno(セルジョ・ボルドリーニ)
    ナジャ・ティラー Nadja Tiller(アドリアーナ)
    カルロ・ヒンテルマン Carlo Hinterman(カルロ)
    ミータ・メディチ Mita Medici(エリーザ) ecc.



夏。
ミラノの企業家セルジョは、スイスの寄宿舎から帰ってきたばかりのエリーザとともに、
バカンスを過ごすサルデーニャ島に向かいます。


セルジョとエリーザを豪華なヨット上で迎えるのはアドリアーナ。
アドリアーナはセルジョのパートナー(セルジョは妻と別居中)。
エリーザはアドリアーナの連れ子でした。


一足先にサルデーニャ入りしてバカンス客仲間と楽しんでいたアドリアーナと、
海で気分転換をしたいセルジョは、なぜか関係がギクシャクし、激しい口論をします。


そんなふたりの様子を見ていたエリーザは何かを感じ、沈んだ表情になっていきます。


仲直りをしたセルジョとアドリアーナのベッドイン。
なのに、セルジョはやはり気乗りせず、寝室を出て行ってしまいます。


エリーザはセルジョに母アドリアーナへの気持ちが変わったのかを尋ねますが…
セルジョの答えは、自分がエゴイストだからと。


夜、化粧落としをしているアドリアーナにエリーザは、これという理由もなく
口論と仲直りを繰り返すのは、セルジョがアドリアーナに魅力を感じなくなって
きているからではないかと、ズバリ問いかけます。


ボートで浜辺に着いたエリーザは、ウニに刺されます。
痛がるエリーザの右足に刺さったウニのトゲを、セルジョが抜き…


傷口から毒を吸い出します。


エリーザはそんなセルジョの様子を上からじっと見下ろします。
エリーザの目には傷口の応急処置をするセルジョとしてではなく…

エリーザのそんな視線を感じたセルジョは、その場を立ち、
アドリアーナの待つヨットに帰ります。


アドリアーナが美容院に出かけ、ヨットにセルジョとエリーザが残ります。
突然,音楽を大音量で流し出したエリーザの部屋に誘われるようにセルジョが入ると…


エリーザが脚をあらわにしてセルジョを誘惑します。


抱き合ってキスをした後にエリーザがセルジョに言ったのは
「私はアドリアーナの娘。あなたは私の父親ではないわ」。

この言葉がセルジョを制御していた理性を失わせることになります。


不動産業者との契約を済ませた後、沈黙するセルジョにエリーザが
「行って!」
と言いだし車を発進させます。

「どこへ?」


セルジョとエリーザが行ったのは町中のホテル。
部屋はそれぞれ一室ずつ。
服を脱ぎ捨てたエリーザがセルジョの部屋に入ってきて…


関係を持った後、セルジョは先にホテルを出ていきます。
ベッドに残ったエリーザは余韻を楽しみながら、勝利の鼻歌を歌います。


セルジョが仕事を口実にミラノに一時帰ってしまいます。
アドリアーナと日光浴に来たエリーザは、セルジョと関係を持ったことを告白します。


エリーザは母アドリアーナに、セルジョとの関係が絶たれてしまうと、
今までのような裕福な生活ができなくなるという切実な現実で説得しようとします。

ショックを受けたアドリアーナは自殺を試みますが未遂に終わります。
幸い軽傷で済んだと、エリーザはミラノのセルジョに電話連絡し、
早くサルデーニャに戻ってくるよう訴えます。


サルデーニャに到着したセルジョを迎えに行ったエリーザは、
アドリアーナに事実を話したと明かし、再びセルジョと関係を持ちます。


ヨットに帰ったセルジョは、アドリアーナから、明日エリーザをロンドンに行かせるか、
アドリアーナ自身がここから出て行くかの選択を強いられます。

セルジョの答えは、どちらもNOでした。


セルジョは何もなかったかのようにアドリアーナとともに
ヨットに集うバカンス客仲間の前に現れ、仲のよいカップルを演じます。


セルジョと仲間がクルージングの行き先をめぐって賑やかに話し合っているところに、
エリーザが帰ってきます。

エリーザが母アドリアーナを見つめる目は…


エリーザの目を避け仲間に気づかれないように話の輪から離れたアドリアーナは、
ヨットから去る準備をするのでした。


   ☆  ★    ☆  

 セルジョ
 妻と別居中。ふたりの息子とは良好な関係。
 実生活はパートナーのアドリアーナと。
 そして、アドリアーナの連れ子でスイスの寄宿舎で学ぶエリーザ。

 仕事は充実しているのに、落ち着かないセルジョの私生活。
 裕福なのに満たされない欲求。

 一方、セルジョの経済力に頼るという厳然たる現実があるアドリアーナとエリーザ。
 アドリアーナに飽きたセルジョの気持ちをつなぎ止めるためにエリーザは
自ら進んで関係を迫ります。

 イタリアでの上映時の宣伝広告が「今日新しいモラルを提案する魅力的な少女」
としてエリーザ役のミータ・メディチの写真が使われています
                                                     (Stampa Sera 1966年12月5日付)。

 しかし実際は、それだけが動機ではありませんでした。

 パオロ・スピノラ監督は前作“La fuga”で、裕福な女性の不満と不安を撮りました。

 “L'estate”でも、モラル崩壊だけで説明できない富裕層の心理を
異なるアングルから撮ったと言えるでしょう。

 次から次へと女性を乗り換えていく、フワフワとした、
見るからに女たらしな浮気者ではなく、仲間の前では仲のよいカップルを演じる、
悩める富裕層セルジョを、巧みにサレルノが演じています。

 このような繊細な心理の演技は高く評価され、この作品をサレルノの代表作品の
一つと挙げる評論家もいます。



   ☆      ☆  

2021年7月28日 (水)

〈第271回〉聖女役のヴォロンテ?

 ジャン・マリア・ヴォロンテの俳優活動歴には、映画やテレビ作品にも、
舞台にも出演しないプランクが数回かあります。

 同時期のトップ俳優たちが次から次へと精力的に仕事をこなしていったのとは対照的に,
ヴォロンテは出演オファーの選別が厳しいうえ、一作品の準備に、しっかりと
(時には冗長と言われるほどに)時間をかけないと気が済まなかった性分。
 そして、1980年の肺がん手術後は体力面の問題も、その一因でした。

  1983年 Raiの番組に出演したジャン・マリア・ヴォロンテ

 なかでも目立つのは1983年の“La morte di Mariao Ricci”〈マリオ・リッチの死〉から
1986年の“Il caso Moro”(モーロ事件)までの3年間のブランクでしょう。

 実は,この時期には注目すべき出演オファーがありました。
 オファーしたのは、カルロ・リッツァーニ監督

  カルロ・リッツァーニ監督

 リッツァーニ監督は、1984年に話題になっていた、ある裁判を題材に映画を
準備していました。

 タイトルは“Mamma Ebe”(マンマ・エーベ)。

 聖女といわれたマンマ・エーベ被告の裁判を題材にしています。
 証言台に立つマイルドコントロールされた元信者とその家族が登場します。

  ステファニア・サンドレッリ

 もともとリッツァーニ監督がヴォロンテにオファーしたのは「ある父親」の役。
 脚本を読んだヴォロンテがリッツァーニ監督に言ったのは
「どうして僕にマンマ・エーベをさせてくれないんだ?」
 冗談抜き、マジだったそうです。

 ヴォロンテを「聖女」マンマ・エーベに?
 それもありと考えたリッツァーニ監督は、ヴォロンテと話し合いを重ねたのですが
合意に至りませんでした。

 結局、リッツァーニ監督は、メキシコ人女優ベルタ・ドミンゲス D(Berta Domínguez D)に
マンマ・エーベ役を託して作品を撮ります。
                            《 Gian Maria Volonte' Un attore contro 》2005年

  ベルタ・ドミンゲス D “Mamma Ebe”より

 「聖女」ヴォロンテ
 へたするとコメディになってしまいます。

 かなりのリスクがあることをヴォロンテもリッツァーニ監督も承知の上だったはずです。
 でも、当時は両者とも本気だったようで、1985年3月31日付け《 La Stampa 》に
リッツァーニ監督のコメントが掲載されています。

「私は黒幕を暴いて、この事件を客観的に取り扱いたい」
「最初、その役(マンマ・エーベ役)をヴォロンテに託するつもりだった」

  1983年Raiの番組に出演したジャン・マリア・ヴォロンテ

   ☆      ☆  

2021年7月14日 (水)

〈第270回〉声優ジャン・マリア・ヴォロンテ-ガスマン&トニャッツィ主演“La marcia su Roma”

La marcia su Roma



イタリア語原題日本語訳 ローマ進軍

監督 ディーノ・リージ Dino Risi
脚本 アージェ Age
   ルッジェーロ・マッカーリ Ruggero Maccari ecc.
音楽 マルチェッロ・ジョンビーニ Marcello Giombini
公開年 1962年

DVD(in Italia)“La marcia su Roma” Filmauro

出演者 ヴィットーリオ・ガスマン Vittorio Gassman(ドメーニコ・ロッケッティ)
           ウーゴ・トニャッツィ Ugo Tognazzi(ウンベルト・ガヴァッツァ)
           ロジェ・アナン Roger Hanin(パオリネッリ隊長)
           マリオ・ブレーガ Mario Brega(マルカッチ) ecc.


第1次世界大戦後の1919年 ミラノ
ドメーニコは無事帰還したものの、お金持ちから幾ばくかの金を恵んでもらって糊口をしのぐ日々。
そんなドメーニコの前に現れたのは…


従軍時の上官であったパオリネッリでした。
パオリネッリは新しく創設されたファシストの行動隊、黒シャツ隊の隊長になっており、
ドメーニコに加入を強く勧めます。


パオリネッリ隊長は黒シャツ隊隊員(しぶしぶ加入したドメーニコも)やファシスト党党員を集めて、
片田舎の広場で手振り身振りを交えた熱烈な演説をしますが…


誰も聞きに来る住民はいませんでした。


黒シャツ隊隊員は、村から追い出そうとする住民たちと殴り合いのけんかを始めます。


住民に追われたドメーニコは馬小屋に逃げ込むや、いきなり後方から殴られます。
殴ったのは…


従軍時代の戦友ウンベルト・ガヴァッツァでした。

ウンベルトは土地を農民に、というファシストの公約に関心を持っていたので、
ドメーニコについて行き、黒シャツ隊に加入します。


黒シャツ隊隊員を集めたパオリネッリ隊長は、道路清掃員のストライキを妨害するために、
道路清掃をするよう隊員たちに命令します。


ドメーニコとウンベルトは、さっそく竹箒を持って道路掃除。
黒シャツ隊らの行動に怒った道路清掃員たちが現れて、大乱闘になります。


鎮圧に来たカラビニエレをドメーニコとウンベルトは殴り倒してしまい、
刑務所に収監される羽目に。
刑務所を襲撃したマルカッチら黒シャツ隊により、ドメーニコとウンベルトは脱走に成功します。


ローマに向かう黒シャツ隊の一団にドメーニコとウンベルトも加わります。


道中、黒シャツ隊はイタリア共産党支部を襲撃して、
レーニンやマルクスの肖像画などを焼き払います。


駐留した村で、刈り取った大量の草木を運んでいた農家の女性をウンベルトは手伝います。


一方、他の黒シャツ隊隊員は反ファシスト人士を摘発し連行します。


夜、黒シャツ隊隊員は酒場に集まって、どんちゃん騒ぎ。
しかも、お勘定はムッソリーニの写真で支払い。


傍若無人の黒シャツ隊に不満を募らせた市民に襲撃されたドメーニコは、
ウンベルトともに隊から後れを取ります。
車を略奪して隊の駐屯地にたどり着きます。


まもなくローマというところで、黒シャツ隊の行進が足止めを食らいます。


ローマへの道を守っていたイタリア正規軍でした。
イタリア軍隊長は、パオリネッリ隊長に毅然とした態度で接し、ローマへの進軍を阻止します。


足止めを食らい野宿中の黒シャツ隊隊員に無情の雨。
雨宿りをして睡眠を取ろうとする隊員たちは、止めてあった貨物車をこじ開けて入ろうとします。


それを止めようとする見回りの鉄道員。


黒シャツ隊隊員との口論の後、通報に向かおうとした鉄道員の背中を,
マルカッチが拳銃で撃ちます。


その様子を目の当たりにしたドメーニコとウンベルト。

ファシストの本性を知ったふたりは、他の隊員が寝静まった頃を見計らって
隊を離れようとします。
ところが、マルカッチに見つかり殺されそうになりながらも、
ふたりが協力してマルカッチを打ちのめして逃走します。


イタリア軍司令部からの指示があり、イタリア軍隊長は道を空け、
黒シャツ隊隊員たちはローマに到着します。


ローマで行われたファシストの大集会。
その中にドメーニコとウンベルトの姿もありました。

   ☆      ☆  

 1922年のローマ進軍をテーマにしたシニカルな(悲)喜劇です。

 1919年に組織されたファシスト党は一見民主的な公約を掲げて勢力を伸ばしていきます。
 ところが、次第に独裁的で反動的、思想の自由を認めず、暴力による統制を目指している
ことが明からになっていきます。

 この作品の主人公のひとり、ウンベルト・ガヴァッツァが事あるごとにファシストの公約を
チェックするシーンがあります。
 そのチェックの積み重ねが、ローマ入り前のマルカッチの鉄道員銃殺で、完全に黒シャツ隊からの
離脱をウンベルトに決意させます。

 ドメーニコ・ロッケッティも、ウンベルト・ガヴァッツァも、熱心なファシスト支持者では
ありません。
   前者は空腹を満たすため、後者はファシスト党の掲げた公約に傍観者的な期待を持っていただけ。
 ふたりとも軽い動機から、ファシストの行動隊、黒シャツ隊隊員となったのです。

 これは単なるファシスト時代の話としてではなく、現在のどの国の市民にもあることで、
その結果は非常に重いのです。

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 ムッソリーニ率いるファシスト党はドキュメンタリーをみても、滑稽なしぐさや行動が多く、
ツッコミどころ満載。
 そんな事情もあって、戦後のイタリア映画では断罪の意味だけでなく、喜劇の材料としても
よく使われています。

   ☆      ☆  

 声優ジャン・マリア・ヴォロンテの登場作品でもあります。
 ロジェ・アナンが扮したファシストの隊長のイタリア語吹き替えを担当しています。

 自分が演じること。しかも自分の声で-
 そんなこだわりを持っていたヴォロンテにしては非常に珍しいことです。
 この作品は1962年に封切りですので、ヴォロンテはまだ映画では無名に
近い俳優でした(『荒野の用心棒』は1964年)。

 1960年代のヴォロンテは、いろんなジャンルに挑戦しています。
 この作品の声優もそのうちの一つでした。

 この時期の出演作はヒットしなかったものもあるのですが、ヴォロンテの多才さが見られる、
彼のフィルムグラフィーでも最も輝いていた時期だと思います。
 1970年以後の社会派一筋、受賞の連続とは全く違い、自由奔放な演技に素質そのものの
すばらしさが見られますし、何よりも見ていて楽しいです。

 ちなみに、ローマを目前にした黒シャツ隊隊員の前に立ちはだかったイタリア軍隊長の
吹き替えは、ニーノ・マンフレディが務めています。

“La marcia su Roma”はガスマンとトニャッツィだけではなく、声にも耳を傾ける価値ありです。


 “A cavallo della tigre” 1961年
ジャン・マリア・ヴォロンテとニーノ・マンフレディ


   ☆      ☆  

2021年6月29日 (火)

〈第269回〉晩年ヴォロンテが過ごした邸宅 売りに出される!

 1994年7月。

 ローマ県ヴェッレートリの広場で、50年前の大戦中、
2度の空襲で出した多数の被害者を追悼するイベントが開催されました。

 題して« Fra le rovine di Velletri » ヴェッレートリの破壊の間に。

 台本を制作したのはジャン・マリア・ヴォロンテ。
 ある司祭が当時の空襲の惨状を綴った日記をもとにしました。

 マスメディアはヴォロンテが再び舞台に立つのかと、この情報に飛びつきました。
 しかし、ヴォロンテは演じることはなく、台本の監修役としてのみ。
 演じるのはヴェッレートリの市民でした。

 マスメディアの注目とは全く違う次元の仕事、すなわち戦争の悲劇を振り返る意義ある仕事は、
ヴォロンテにふさわしいものでした。

 この追悼の舞台に感極まったヴォロンテは

「このまちは僕の劇場です」

と語ったと1994年7月3日付《 Corriere della sera 》の記事にあります。

   ☆      ☆  

 時は流れて現在…

 「ヴェッレートリ エドゥアルド・デ・フィリッポと
ジャン・マリア・ヴォロンテのものだった邸宅が売りに出される」


  https://roma.fanpage.it/velletri-e-in-vendita-la-villa-che-e-stata-di-eduardo-de-filippo-e-gian-maria-volonte/


 晩年のヴォロンテが過ごしたヴェッレートリの邸宅が売りに出されているという記事。

 1500万ユーロの大邸宅!
 ここのところの為替レートで計算すると、19億8千万円あまり…

 この記事は2019年4月8日に出たのですが、まだ買い手が見つからないようで、
現在も多くの不動産斡旋業者がこの物件をネットに載せています。

 ところが、この邸宅はヴォロンテが所有していたものではありません。
 このことはずいぶん前から言われていたのですが、上掲の記事がそれを
裏付けることになりました。

 もともと、このヴェッレートリの邸宅はイタリアが誇る大劇作家にして
俳優だったエドゥアルド・デ・フィリッポの別荘でした。


 エドゥアルド・デ・フィリッポ  “Uomo e galantuomo”1975年より

 ヴォロンテがここで一緒に住んでいたのは、
晩年のパートナーだったアンジェリカ・イッポーリト(1944-)。

 アンジェリカ・イッポーリトは、エドゥアルド・デ・フィリッポ(1900-1984)の
3回目の結婚相手イザベッラ・クァラントッティ Isabella Quarantotti の連れ子です。
 エドゥアルドの死後、イッポーリトがこの別荘の所有者となりました。

 したがって、正確に言えば、アンジェリカ・イッポーリトの邸宅に
ヴォロンテが寄宿する形だったわけです。
 にもかかわらず、圧倒的な知名度ゆえに、一般的にはヴォロンテの邸宅と
言われるようになりました。

 しかも、冒頭で紹介した追悼イベントでヴェッレートリに大きな貢献をしたこともあって、
ヴェッレートリの中心部にはヴォロンテの名を冠した劇場
Teatro Artemisio "Gian Maria Volonté" も建設されました。

  ヴォロンテとイッポーリト


 ヴォロンテの葬儀もこの邸宅で行われました。
 ヴォロンテがヴェッレートリの一市民として根付いていた証でもあります。

 ところが、ヴォロンテのお墓はヴェッレートリにはありません。

 お墓はヴェッレートリから遙か西、ヴォロンテが愛した
サルデーニャ州マッダレーナ島の墓地にあります。
 その一角を買ったのは生前のヴォロンテでした。

 思えば、ヴォロンテは肺がん手術後の療養期間も「自宅」ではなく、
カルラ・グラヴィーナの邸宅で過ごしました。
 そして、晩年も期間は比較的長かったとはいえ、アンジェリカ・イッポーリト所有の
ヴェッレートリの邸宅。

 ヴォロンテにとって、ヴェッレートリもまた「仮住まい」だったということなのかも知れません。

   ☆      ☆  

その他の参考文献

* La Repubblica 1994年7月3日付記事
 ‘ Velletri, La gente in piazza Il dolore della guerra ’

* La Stampa 1994年6月27日付記事
 ‘ E Volonlè ritorna al teatro. Ma solo da curatore ’

* Felice Laudadio“ Gian Maria Volonte' Un volto, una voce e le mille maschere dell'attore”

* DVD“Indagine su un cittadino di nome Volonte'”

 ★  ☆  ★    ☆  

2021年6月15日 (火)

〈第268回〉だまされた! -Rai 生放送“I figli di Medea”

I figli di Medea

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イタリア語原題日本語訳 メーデイアの子たち

監督 アントン・ジュリオ・マイアーノ Anton Giulio Majano
脚本 ヴラディミーロ・カヨーリ Vladimiro Cajoli
放送年月日 1959年6月9日

出演者 アリーダ・ヴァッリ Alida Valli(メーデイア)
           エンリコ・マリア・サレルノ Enrico Maria Salerno
           フェルルッチョ・デ・チェレーザ Ferruccio De Ceresa(ヴァイラーティ)
           ティーノ・ビアンキ Tino Bianchi(ヴィンチグエルラ) ecc.


1
1959年6月9日、Rai で史劇ドラマ“I figli di Medea”の生放送が始まります。

メーデイア役アリーダ・ヴァッリが登場した直後、Raiスタジオに
彼女の息子ヌッチョが行方不明との知らせが入り、放送は中断。


画面が切り替わり、スタジオに呼んだ精神科医ヴァイラーティ(左)と
警察官僚ヴィンチグエルラ(右)が今回の事態を説明します。


番組中断の原因を作ったのはエンリコ・マリア・サレルノでした。

サレルノはアリーダ・ヴァッリとの間にできた息子ヌッチョを連れ出し、
どこかに隠したと言い放って、Raiのロビーを占拠します。
ヌッチョは決まった時間に投薬をしなければ生命の維持が難しい重症患者でした。


刑事がヌッチョの居場所を聞き出そうとしますが、
それに答えないサレルノはデレビカメラの前で言いたい放題。

その間に、スタジオからヴィンチグエルラが視聴者に向かって、
ヌッチョの行方に心当たりのある人は696に電話を、と呼びかけます。

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この番組を見た視聴者がRaiの建物周辺に集まりはじめ、
サレルノは満足げにブラインドを開けてその様子を確認します。


沈痛な面持ちのアリーダ・ヴァッリのもとに、
ヴィンチグエルラがヌッチョ発見、無事保護の速報を伝えます。


その様子をロビーのテレビでみたサレルノが動き出すや、
数人の警官たちに取り押さえられます。


ロビーでの騒ぎが無事収まり、スタジオでヴァイラーティとヴィンチグエルラが
今回の解説をし始めると、再びロビーで騒ぎが起こったとの知らせが入ります。


やけになったサレルノが拳銃を取り出し、自殺をほのめかしたのです。
落ち着かせようとする刑事に、またも好き放題しゃべり出すサレルノ。


しゃべりすぎて喉が渇いたサレルノは水を要求します。
サレルノは水の入ったコップを受けとっても、まだしゃべり続けます。
そのコップの水には、精神科医の指示で睡眠薬が仕込まれてありました。

ようやく一息ついたところで、サレルノは水を一気に飲み干します。


サレルノは睡魔に襲われながらも拳銃を握り続けていましたが、
意を決したかのように銃口をこめかみに当てます。
そのとき横に座っていた老婦人が必死に食らいついて止め、サレルノに穏やかに話しかけます。


席から立ち上がったサレルノは、ふらふらと歩き回ったのち、
倒れ込んで眠ってしまいます。
周囲にいた警官たちが拳銃を回収し、サレルノを運び出すのでした。


再びスタジオのヴァイラーティとヴィンチグエルラ。
アリーダ・ヴァッリや息子の無事だけでなく、サレルノも無事であったことに安堵し、
今回の事態を説明して番組は終了するのでした。


   ☆      ☆  

 生放送中のドラマが騒ぎで中断される
 それは制作者が仕掛けた視聴者をだますための芝居だった-

 1959年のイタリアでは、まだ一家庭にテレビが一台という時代ではありませんでした。
 裕福な家庭以外では、街角でテレビを見るのが当たり前の時代だったことを考えると、
市民の騒ぎは限定的だったはずです。

 実際、新聞記事を見ても、放送に関係のある出来事もあれば、
こじつけと思われる出来事までいろいろです。

 最もリアルに迷惑を被ったのは、番組で情報提供先とした電話番号696、
トリノのモリネッテ病院でした(Stampa Sera 1959年6月10日付)。

 この“I figli di Medea”を語るときに引き合いに出されるのは、
有名なオーソン・ウェルズのラジオ番組、火星人襲来エピソードです。
 ところが、火星人襲来の放送では、視聴者はパニックにならなかったとも言われています。

   ☆      ☆  

 これは芝居だったと種明かしがされたにもかかわらず、ラストの出演者紹介での表情が、
芝居か現実か判断を迷わせるような微妙さはなかなかのものでした。

 特に、サレルノに付いた〈matto〉(狂人)というイメージは、
その後もなかなか消えなかったとサレルノ自身が述べています。

  Rai “Ieri e Oggi” 1968年放送

 例えば、1962年のソマリア・ロケ前のインタビューでも、
新聞記事では記者がわざわざサレルノについて

「彼が狂人だというのは本当ではない。…
 実のところ、エンリコ・マリア・サレルノはたいへんに感じがよく、知的で、
とりわけ‘普通の'人だ」

と、ことわりを入れているのが、その事実を物語るでしょう(Stampa Sera 1962年7月12日付)。

 一方、番組の前半だけの出演だったアリーダ・ヴァッリは、言わずと知れたイタリアの大女優。
 1921年5月31日、ポーラ(現クロアチア)の出身。当時のポーラはイタリア領でした。

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 2004年、クロアチアはご当地の誇りとして、アリーダ・ヴァッリへの授賞を決定します。
 ところが、アリーダ・ヴァッリは

「私はイタリア人として生まれました。ですから、イタリア人として死にたいんです」

と述べて受賞を辞退しています。
          https://it.wikipedia.org/wiki/Alida_Valli

 アリーダ・ヴァッリは2006年4月22日に死去しました。
 ローマの自宅で、イタリア人として。

   ☆      ☆  

 

2021年5月20日 (木)

〈第267回〉わいせつ罪で告発! -パゾリーニ監督『デカメロン』

デカメロン



イタリア語原題 Il Decameron

監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini
原作 ジョヴァンニ・ボッカッチョ Giovanni Boccaccio
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini
音楽 エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone
公開年 1971年

受賞 1971年 ベルリン国際映画祭 特別審査員銀熊賞

DVD(in Italia) “Il Decameron” Cde 

出演者 ニネット・ダヴォリ Ninetto Davoli(アンドレウッチョ)
           マリア・ガブリエッラ・マイオーネ Maria Gabriella Maione(マドンナ)
           ヴィンチェンツォ・アマート Vincenzo Amato(マゼット)
           フランコ・チッティ Franco Citti(高利貸しチャッペッレット)
           ピエル・パオロ・パゾリーニ Pier Paolo Pasolini(ジョットの弟子)ecc.


【ペルージャから来たアンドレウッチョ】

中世のナポリ。
売り買いする人で賑わう市場をながめるマドンナは、一人の男に注目します。


それはペルージャから馬の買い付けに来た男、アンドレウッチョでした。


マドンナはアンドレウッチョを邸宅に招き、ともに食事をします。


食事が終わり、マドンナが退室した後、アンドレウッチョは腹痛をおこします。


駆け込んだトイレの床板が割れ、アンドレウッチョは肥だめに落ちてしまいます。


それを確認したマドンナは、アンドレウッチョがベッドに脱ぎ捨てた上着から
金を盗み取ります。
マドンナは詐欺師。トイレの床板に切れ目を入れて人が落ちるように細工が
してあったのです。


アンドレウッチョは助けを求めるも、ひどい悪臭のため、
発狂者扱いされて邸宅から追い出されます。


一文無しのアンドレウッチョが悪臭を放ちながら放浪していて
出会ったのは二人の泥棒。
誘われるがままに教会にやってきます。


泥棒たちは、最近亡くなったばかりの司祭の石棺から宝物を盗み出そうと企んでいました。
石棺の蓋を開け、宝物を取り出す役目をアンドレウッチョにさせます。


アンドレウッチョの目に真っ先についたのは、遺体の指にはまっている指輪。
アンドレウッチョは素早く指輪を抜き取り、自分の懐に隠します。


アンドレウッチョは、棺の外で待つ泥棒たちに遺体の装飾品を次々手渡します。
泥棒たちは指輪があるはずと催促しますが、「見当たらない」と言って
アンドレウッチョはしらばくれます。


怒った泥棒たちは、棺の蓋を支えていた石を外し、アンドレウッチョを棺に閉じこめて逃走します。
閉じこめられたアンドレウッチョはパニックに。


すると、外から石棺を開ける気配が…


石棺を開けさせたのは聖具室番人でした。
棺の中のアンドレウッチョは、盗みに入ってきた聖具室番人の脚に
思いっきりかみつきます。


驚いて逃げ去った聖具室番人たち。
周囲に人がいないことを確認したアンドレウッチョは、
懐の指輪を持って教会から出て行くのでした。

【修道院の果樹農夫マゼット】

ナポリの修道女が暮らす修道院に一人の男が現れます。
口がきけない障害者のふりをている、この男の名はマゼット。
この修道院で作男として雇われることに成功します。


修道院の果樹園を歩いていた修道女がガン見するのは…


作業中のマゼットのココ。
修道女は木切れでソコを突っついて、マゼットに木から下りてくるように言います。


修道女はマゼットを物置に招き入れ、僧衣をまくり上げて誘惑します。


その様子を見ていた別の修道女も…


マゼットを誘惑して欲望を満たします。


さらに、その様子を見ていた他の修道女たち。
マゼットのもとに行列ができます。


修道院内のゆゆしき事態に、修道院長が立ち上がります。


ところが、修道院長もマゼットを誘惑します。
何人もの修道女の相手をさせられてタマ切れのマゼットは、もう限界~
修道院長に泣き言を漏らし、家に帰してほしいと訴えます。


口がきけないマゼットが話した!

修道院長は「奇跡だ! 奇跡だ!」と叫びながら鐘楼に駆け込み、
鐘を打ち鳴らすのでした。

本来ならば、健常者の男性は女子修道院にはいないはずなのですが、
「奇跡」のマゼットは修道院に残り、修道女の相手を続けることになりました。


   ☆      ☆  ★

 ご存じのように、『デカメロン』(十日物語)はイタリア・ルネサンスの作家
ボッカッチョが1348年から53年にかけて執筆した短編物語集です。
 まさに黒死病がヨーロッパを襲っていた時代でした。

 原作は、黒死病蔓延の地から避難したフィレンツェの若い男女が10日間に
100篇の物語を語る形式です。

 パゾリーニの映画『ボッカッチョ』は、そのなかから主にナポリを
舞台にした10篇を取り上げました。
 中盤にパゾリーニ扮するジョットの弟子が登場し、教会から依頼された絵画を
仕上げるラストまでの過程に後半のエピソードを挟む形式になっています。
 今回紹介したのは、前半の2篇です。

 どうも『デカメロン』と聞くと、このパゾリーニの映画を連想するからか、
艶笑物語集と解説されるケースが多いですね。
 しかし、原作はいろんなタイプの人物やストーリーが登場する豊かな内容の文学作品です。

   ☆      ☆  

 「多くの手振り身振りのシーンや言葉表現において卑猥である」
と検察に定義づけられた映画『デカメロン』。

 パゾリーニの『デカメロン』は、イタリアで封切りされるや、
各地の検察からわいせつ罪容疑で差し押さえ手続きがとられました。 
                                             (La Stampa 1971年10月3日付)

 パゾリーニは『デカメロン』で、司祭や修道士・修道女といった
教会関係者の実態を痛烈に皮肉っています。
 上掲の2本目【修道院の果樹農夫マゼット】は男に飢えた修道女たちの醜態と
カトリックの「奇跡」の実態を暴いています。

 奇跡…

 カトリック教会では生前に功績があった者に与えられる「福者」という称号があります。
 「福者」認定のための功績の一つが「奇跡」を起こしたかどうかなんですね。

 その「奇跡」たるや… こんな実態だったというわけです。

 日本では1972年に封切りされました。
 ストーリーがどうこう言う以前に、カットするシーンが多くて
大変だったんではないでしょうか。
 特に性器露出、特に男性器のアップは複数回あるので…

 パゾリーニ扮する「ジョットの弟子」ですが、その ジョット とは、
フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂脇に立っている
「ジョットの鐘楼」の建築責任者だった ジョット・ディ・ボンドーネ Giotto di Bondone
 のことです。
 ボッカッチョの時代の巨匠、イタリア・ルネサンス期の絵画・建築の先駆者でした。

   ☆    ★  ☆  

   

2021年5月 4日 (火)

〈第266回〉ヴォロンテは語る 映画を破壊するコマーシャル

 1990年3月、イタリアから上映が開始された『宣告』。
 日本でも上映された『宣告』は、欧米各国では大きな反響を呼び、
原作者レオナルド・シャーシャやジャンニ・アメリオ監督、
そして主演ジャン・マリア・ヴォロンテら出演者に惜しみない拍手と
高い評価が与えられました。

『宣告』より

 授賞の合間を縫って、ヴォロンテはたびたびテレビや新聞に登場し、
インタビューに応えています。

 『宣告』そのものについてのコメントは、別の機会に紹介する予定ですが、
当時『法王の銀行家 ロベルト・カルヴィ暗殺事件』の制作が暗礁に乗り上げていた
状況下でもあり、以下のように述べています。

「今や、僕が愛する映画は政治勢力に押しつぶされようとしています。
  大プロデューサーは、もはや映画が別のものになり、すべてを失ってしまう
 テレビのための映画を撮っています。

  そのために、コマーシャルに対する闘いも、僕には何の興味も呼び起こしません。
 テレビに利する瞬間にすでに変質した作品を保護することになるだけですから」

                                                                      (La Stampa 1990年4月26日付)

1990年のRaiの番組より

   ☆      ☆  

 政治の腐敗と反動のなか、社会にもの申す映画作品が企画されにくい
環境になってきていました。
 さらに、映画監督らがそろって怒りの声を上げたコマーシャル問題が、
映画のあり方を提起することになりました。

 イタリアのTVコマーシャルには、
 1957年から1977年までに放映されたカロセッロ carosello と、
 その後に始まったスポット spot があります。



 カロセッロは、時期により若干の変動はありましたが、
毎日20時50分から21時までの10分間、番組枠の一つとして
カロセッロの時間がありました。
 この10分間に、1本あたり数分のカロセッロが数本流れました。

 数分という、まとまった時間だったため面白いストーリーのものが
あったり、豪華な面々の登場もあったりで、カロセッロの時間を楽しみにする
視聴者も多かったそうです。

 カロセッロ人気は現在も根強く、DVDとして発売され、
その歴史を振り返る書籍もあるほどです。

 ちなみに、アニメ『カリメロ』は、人気カロセッロのキャラ、Calimero が
アニメ化された作品です。

  『カリメロ』より

 それに対して、スポットは日本のTVで番組の間に流れる数秒間の
コマーシャルと同じものです。

「スポットがすべての映画を破壊する」

と猛反発の声を上げたのは、
フランチェスコ・ロージ、フェデリーコ・フェッリーニ、ルイジ・マーニ、
ルイジ・コメンチーニ、エットレ・スコーラ、マリオ・モニチェッリ、
ナンニ・ロイ、タヴィアーニ兄弟、リーナ・ウェルトミューラーら、
イタリアを代表する映画監督たちでした(La Stampa 1989年10月17日付)。

 映画の作り手にとっては冒頭からラストまでノンストップで一作品なのに、
間でブチブチと切られて全く関係のないスポットが流れるのは、作品の破壊に
他なりませんでした。

 日本では、テレビ放映される映画は十数分おきにコマーシャルで中断されるのが
当たり前。
  そういうもんだと思っていましたが、イタリアではそうでなかったんですね。

 それだけ映画の作り手の作品に対するこだわりや愛着もさることながら、
映画とテレビは全く異質のメディアだという意識が強かったことを再認識させられます。

『宣告』より

   ☆    ★  ☆  

 

2021年4月20日 (火)

〈第265回〉ヴァチカン銀行の口封じ-ジュゼッペ・フェッラーラ監督『法王の銀行家 ロベルト・カルヴィ暗殺事件』

法王の銀行家 ロベルト・カルヴィ暗殺事件



イタリア語原題 I banchieri di Dio

監督 ジュゼッペ・フェッラーラ Giuseppe Ferrara
脚本 アルメニア・バルドゥッチ Armenia Balducci
   ジュゼッペ・フェッラーラ Giuseppe Ferrara
音楽 ピーノ・ドナッジョ Pino Donaggio
公開年 2002年

出演者 オメーロ・アントヌッティ Omero Antonutti(ロベルト・カルヴィ)
           パルメラ・ヴィッロレージ Pamela Villoresi(カルヴィの妻クラーラ)
    ジャンカルロ・ジャンニーニ Giancarlo Giannini(カルボーニ)
    アレッサンドロ・ガスマン Alessandro Gassmann(パツィエンツァ)
    ルトガー・ハウアー Rutger Hauer(ポール・マルチンクス)
           ピエル・パオロ・カッポーニ  Pier Paolo Capponi(ロゾーネ)ecc.



1982年5月、アンブロシアーノ銀行が巨額の使途不明金を抱えて破綻します。
アンブロシアーノ銀行とは、ヴァチカン銀行(宗教事業協会 IOR)の
資金管理を行っていました。

金融犯罪に当たる取引を進めていた頭取のロベルト・カルヴィは、
各方面への対応に奔走します。

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アンブロシアーノ銀行破綻のニュースは政界にも即伝わります。


かねてからアンブロシアーノ銀行を経由した不明朗な資金の流れを捜査していた
ミラノの司法当局は、頭取カルヴィを当該行破綻の責任で逮捕する手続きをします。


カルヴィは自宅でパスポートを焼き捨てます。


そして、カルヴィは財務警備隊に逮捕されます。


カルヴィの妻クラーラは、首相アンドレオッティに夫の救済を請います。


窮地にあるカルヴィに群がる者のひとり、パツィエンツァ。


フィクサーのカルボーニ。


ヴァチカン銀行総裁マルチンクス大司教の報告を受けるローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世。


カルヴィは偽造パスポートを使って国外脱出。
各地を転々としてロンドンへ。


一方、アンブロシアーノ銀行副頭取のロゾーネは、カルヴィ救済のために、
マルチンクスと交渉するも成功に至らず。


ロゾーネに望みを託していたカルヴィからの電話を、
アンブロシアーノ銀行で取る者はいませんでした。


ロンドンのホテルから誘い出されたカルヴィは、テムズ川の川岸で男たちに
力尽くで窒息させられ、


トレードマークのひげを剃られ、


ポートに載せられて、足場が組まれたブラックフライアーズ橋の下まで来ると、
男たちはカルヴィのポケットにレンガを詰め込み、首に縄をかけ、


ブラックフライアーズ橋の下にカルヴィを吊します。


ロベルト・カルヴィの首つり死体が発見されたのは、1982年6月17日のことでした。

   ☆    ★  ☆  

 アンブロシアーノ銀行頭取ロベルト・カルヴィ暗殺は、
ヴァチカンの口封じのためと考えられています。

 政界だけでなくマフィアや秘密組織ロッジP2などとつながりを持つ
ヴァチカンのマネーロンダリングとあって、登場人物が非常に多いです。

 また作品が制作された2001年は、まだイタリア司法当局の捜査進行中。
 カルボーニやジェッリらがカルヴィ殺害の嫌疑で起訴されるのは2005年のことでした。

 なお、制作者の意図で注目されるのは、ヨハネ・パウロ2世という人物の描き方。
 教皇とはいえ体力作りは必要ですが、マルチンクス大司教の報告を聞くシーンで、
ヨハネ・パウロ2世はエアロバイクをこいでいます。


 俗人としての一面を強調していると考えられます。

 日本では世界平和に大いに貢献した、親しみやすいローマ教皇と思われていますが、
ヴァチカン銀行の改革に関心を示さず、マルチンクス大司教の暗躍を野放しにして
しまったといわれています。

 単に無関心だったのか、使途不明金の行方に大いに関わっているのか、
その点次第では、とんだ食わせ物だったと言われかねません。

   ☆      ☆  

 すでに〈第248回〉で紹介したように、
この『法王の銀行家 ロベルト・カルヴィ暗殺事件』は、
1986年の“ Il caso Moro ”(モーロ事件)後、ジュゼッペ・フェッラーラ監督が
ジャン・マリア・ヴォロンテを主演に撮る予定でした。

 ところが、司法当局の捜査がなかなか進まず、またプロデューサーが企画を
却下する事態になって、フェッラーラ監督も一時は制作を断念せざるを得ないか
と思っていた2001年に、Rai Cinemaがプロデュースを受諾して制作が始まりました。

 すでにジャン・マリア・ヴォロンテが他界していたため、
オメーロ・アントヌッティがロベルト・カルヴィ役を務めることになったのですが、
たいへんなプレッシャーがあったのではないでしょうか。

 その他の出演者も、ジャンカルロ・ジャンニーニ、
アレッサンドロ・ガスマン(ヴィットリオ・ガスマンの息子)、
ピエル・パオロ・カッポーニら実力のある俳優がそろっています。

   ☆      ☆  

 それはそうと、ジャンカルロ・ジャンニーニは、
ヴォロンテ死亡を伝えるテレビニュースの短さに怒りをあらわにしていました。

「テレビニュースがヴォロンテに当てた時間は数秒だった。
  ディ・ピエトロが辞任したから。
  ディ・ピエトロ事件ですべてが占められていたから。

  僕はこれはすごく不当だと思った。
  なぜならディ・ピエトロは辞任した。その通りだ。
  だけど、偉大な俳優が亡くなったんだよ。」

「ヴォロンテはたいへん知的で気分屋だった。
  32年前、僕たちはともにシェイクスピアの『真夏の夜の夢』の舞台を
  4ヶ月間演じた。
  僕はたくさん学んだ。皮肉を使うこともね。」

                       《 La Stampa 》1994年12月10日付

 ヴォロンテが亡くなった日、1994年12月6日は、
イタリアでは政界の汚職捜査を指揮していたアントニオ・ディ・ピエトロ検事が
ベルルスコーニ首相の取り調べの直前に辞任した日でもあったんです。

 ★  ☆      ☆  

2021年4月 6日 (火)

〈第264回〉キーアの塔 パゾリーニの遺産

La torre di Chia

  “L'armata Brancaleone”

 ブランカレオーネらが、メンバーの一人で衰弱死したアバクックを埋葬しているシーンです。

 背後に、夕暮れの丘に立って彼らを静かに見下ろしている塔。
 ヴィテルボのソリアーノ・デル・チミーノにある キーアの塔 です。

 マリオ・モニチェッリ監督“L'armata Brancaleone”は中世のイタリアが舞台。
 このキーアの塔が公式の史料に登場するのが中世の1260年。
 ダンテ(1265-1321)が誕生する少し前にあたります。

  “L'armata Brancaleone”

 このキーアの塔は別名パゾリーニの塔とも呼ばれています。

 パゾリーニが『奇跡の丘』の撮影のために、この地域を訪れたのは1960年前半のこと。

  Il Vangelo secondo Matteo

『奇跡の丘』のイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けるシーンは、
キーアの塔周辺の渓流で撮影されました。

Il Vangelo secondo Matteo

 キーアの塔とその周辺の大自然に魅せられたパゾリーニは、
1967年にはキーアの塔を購入し、ここを住居兼仕事場としていました。

 そんなキーアの塔ですが、管理維持費がかさむため、パゾリーニの相続人で姪の
グラツィエッラ・キアルコッシ Graziella Chiarcossi が売りに出すと、
昨年11月の各メディアで伝えられました。

 グラツィエッラさんは個人に売却するより文化事業団体への売却を希望しています。
 現地の首長はパゾリーニ資料館にする用意があると伝えられているのですが、果たして…。

参照 https://www.archeome.it/news-la-torre-di-chia-vt-di-pasolini-e-in-vendita/
    https://www.repubblica.it/cultura/2020/11/17/news/la_torre_di_pasolini_e_in_vendita-274727341/


 ★  ☆      ☆  

 イタリアには度々の戦乱にもかかわらず、今も多くの塔が残存しています。
 ピサの斜塔のように世界遺産に登録されているものもあれば、
来歴不明のために地域レベルの記念物扱いになっているものもあります。

 映画やテレビ作品でも舞台や背景として使われていますので、
その一部を以下に挙げてみましょう。


 
ベルナルド・ベルトルッチ&ジュゼッペ・ベルトルッチ監督
   “Bologna”  (“12 registi per 12 citta'”より)

 「二つの塔の町」ボローニャ
 「ボローニャの斜塔」とも呼ばれる
   ガリセンダ Garisendaの塔(左)と Asinelliアシネッリの塔



ブルネッロ・ロンディ監督 “Ingrid sulla strada”

  ひとけのない原野にたたずむモリナーリオの塔  Torre Molinario.
  ローマ北部のヴァッレ・ヴェスコヴォ通りVia di Valle Vescovo にあります。



リッカルド・ギオーネ監督 “A cuore freddo”

  ローマ北部のサンタ・マリア・ディ・ガレリア Santa Maria di Galeriaにある
  Monumento naturale di Galeria Antica (モヌメント・ナトゥラーレ・ディ・ガレリア・アンティカ )。

 城壁のあちこちが崩壊していて、すごい廃墟。
 なのに、塔もアーチもきっちり残っています。



ディーノ・リージ監督 “Fantasma d'amore”

  霧のパヴィアに白くそびえ立つ塔と巨大な石柱。
  石柱はパヴィア大学の講堂 Aula Magna のもの。
  ここから東側に目を向けると、
レオナルド・ダ・ヴィンチ広場 Piazza Leonardo da Vinci に3本の塔が見えます。

 ★  ☆  ★    ☆  

 塔探しに限らず、ロケがどこで行われたかは、作品ラストの字幕をヒントに
Googleマップで結構探し当てることができます。とても楽しいです。

 どうしても探し当てられない場合は、ロケ地探し専用のサイトで確認できます。

参照 https://www.davinotti.com/forum/location-verificate/

 ★  ☆    ★  ☆  ★

2021年3月23日 (火)

〈第263回〉舞台裏8-フランチェスコ・ロージ監督『予告された殺人の記録』

Cronaca di una morte annunciata

 今回は当館第21回に紹介したフランチェスコ・ロージ監督の
『予告された殺人の記録』の舞台裏を見てみることにしましょう。

 コロンビアでの撮影は、1986年の7月から8月にかけて行われました。
 現地の雨期は9月からなので、その前に撮影をしてしまおうということだったのですが…

 いざ、撮影隊がコロンビア入りすると、映画収録以前の問題が山積。
 高温多湿の気候に悩まされ、出演者やスタッフの宿泊先が不足、
さらに飲料水も不充分という現実にぶつかります。

 しかも、モンポスからカリブ海に臨むカルタヘナまでを移動しては
セット作るという繰り返しでした。

 冒頭、ジャン・マリア・ヴォロンテ扮するクリスト・ベトヤが
船で故郷に向かうシーンは、マグダレナ川と川岸が舞台でした。

 アンヘラ・ヴィカリオの家は カルタヘナで、
 大きな広場や教会、シンプルな家々、サンティアゴ殺害シーンは
パサカバリョスで撮影されました。


 また収録時の言語は、ルパート・エヴェレットは英語で、
オルネッラ・ムーティとジャン・マリア・ヴォロンテはスペイン語で行われました。

  ★  ☆    ★  ☆  

 『予告された殺人の記録』は1987年5月のカンヌ国際映画祭に出品されました。
 トリノの日刊紙『ラ・スタンパ』はフランスの各紙の批評を転載しています。
 それによると、各紙の評価はまちまち。よい評価の場合も手放しの称賛ではない点で
共通しており、また酷評もありました。

 『ル・モンド』は
「政治的な視線を期待されていたが、ロージは私たちに長いメロドラマをもたらした…。
この作品は成功のための材料はすべてあると思われたが…」

 原作は超有名ですし、名だたる出演者をそろえて臨んだので、
成功はして当たり前の感さえありました。

 以下に主な出演者を挙げておきます。

 
バヤルド・サン・ロマン役のルパート・エヴェレット


アンヘラ・ヴィカリオ役のオルネッラ・ムーティ


クリスト・ベトヤ役のジャン・マリア・ヴォロンテ


 サンティアゴ役のアントニー・ドロン


アンヘラの母役のイレーネ・パパス

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サンティアゴの母役のルチーア・ボセ

 一方『リベラシオン』は、この作品の原題
“Cronaca di una morte annunciata”の morte(死)を
merda(クソ)に置き換えて『予告されたクソの記録』と題して酷評を展開しています。


 当館館主は今回の紹介を書くにあたって、この作品を見直したんですが、
最も大事なシーンが何ともゆるい演技で「予告殺人」の意味が台無しに
なっているんじゃないかと思いました。

 そのシーンとは、サンティアゴの腹部を執拗に刺したアンヘラの双子の兄が
広場を走り抜けて教会に逃げ込むシーンのことなんですが、どうも双子に
必死さや緊張感がなく、広場をチンタラ走っているようにしか見えないのです。

 出演者やエトセトラの問題なのか、演出のミスなのか、カメラワークの問題なのか…

 原作者ガブリエル・ガルシア・マルケスと友人関係にあった
フランチェスコ・ロージ監督は、可能な限り、原作に忠実であろうとして、
コロンビアでの撮影に踏み切りました。

  ところが、コロンビアには映画制作のために必要な環境や条件がそろって
いなかった、これに尽きるんでしょうね。

    ☆      ☆  

【参考】
《 La Stampa 》1986年8月2日付記事
 同 上           1987年5月10日付記事



    ☆      ☆  

2021年3月 9日 (火)

〈第262回〉人身事故 運転士の運命を変える-ピエトロ・ジェルミ監督・主演『鉄道員』

鉄道員



 日本各地で相次ぐ鉄道の人身事故。

 当館館主の最寄りの駅でも、この1年足らずの間に2回もありました。
もともと人身事故などの事故がほとんどなかった路線なのですが…

 自ら命を絶たなければならなかった人の苦悩もそうですが、
まじめに仕事をしている列車の運転士が突然目前に現れる人間に驚き、
停車した後に無残な結果を目の当たりにしなければならない…
 運転士の精神が崩壊してもおかしくないほどの災難です。

 鉄道で人身事故発生ときくと反射的に私の頭の中で再生されるのは、
ピエトロ・ジェルミ監督・主演の『鉄道員』のメロディー。

 というわけで、今回はコロナ禍の現在にも通じるイタリア映画の名作を紹介します。

イタリア語原題 Il ferroviere

監督 ピエトロ・ジェルミ Pietro Germi
脚本  ピエトロ・ジェルミ Pietro Germi
        アルフレード・ジャンネッティ Alfredo Giannetti,
        ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ Luciano Vincenzoni
音楽 カルロ・ルスティケッリ Carlo Rustichelli
公開年 1956年

受賞 1956年 カンヌ国際映画祭 OCIC Award ピエトロ・ジェルミ
        1957年 伊ナストロ・ダルジェント最優秀監督賞 ピエトロ・ジェルミ ecc.

DVD(in Italia) “Il ferroviere” Surf

出演者 ピエトロ・ジェルミ Pietro Germi(アンドレーア・マルコッチ)
    ルイーザ・デッラ・ノーチェ Luisa Della Noce(サーラ・マルコッチ)
    シルヴァ(・コシーナ) Sylva (Koscina)(ジューリア・マルコッチ)
    サーロ・ウルツィ Saro Urzì(ジージ・リヴェラーニ)
    カルロ・ジュッフレ Carlo Giuffre'(レナート・ボルギ)
    レナート・スペツィアーリ Renato Speziali(マルチェッロ・マルコッチ)
    エドアルド・ネヴォラ Edoardo Nevola(サンドロ・マルコッチ)ecc.


クリスマスの日、駅に到着した電気機関車の運転士アンドレーア・マルコッチが笑顔で応えるのは…


父アンドレーアを迎えにきた幼い次男のサンドロ。


アンドレーアは酒場でギターをつま弾きながら仲間と歌って飲むのが何よりもの楽しみでした。


この日もアンドレーアは相棒の機関士ジージとともに電気機関車で長距離乗務。

ジージは居眠り始めます。
疲れと眠気を必死に振り払いながら走行していると…

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線路上に立った若い男。
アンドレーアは声を上げて急ブレーキをかけます。


ようやく停車したものの…


あの若い男は…
列車の下。

列車を降りたアンドレーアは「何も起こっていない」と
自分に言い聞かすようにつぶやきます。


事故処理が終わって運転再開。
混乱した精神状態のまま運転を始めたアンドレーアでしたが…


今度は停止信号を見落として、気がつけば同じ車線に対向車が!


間一髪で正面衝突を逃れました。


鉄道員の労働組合の集会が開かれます。


その場でアンドレーアは自分の経験をもとに意見を述べますが、
ストをすることしか頭にない組合幹部は耳を貸さず、さっさと閉会。


事故調査の一環として、アンドレーアは健康診断を受けさせられます。


その結果、アンドレーアは蒸気機関車の運転士に格下げと大幅な減俸。
ジージも同様の憂き目に遭います。

【北海道への配達不可商品です】 彩食ファクトリー味わいソースで食べるパスタセット PAF-CJ ギフト 贈り物 内祝 御祝 お返し 挨拶 香典 仏事 粗供養 志 お歳暮 御歳暮 歳暮
そんななか、鉄道員の労働組合はストライキを断行します。


給料が減って働かなければいけないアンドレーアは、
ジージの制止を振り切って、電気機関車の乗務に就きます。


近所のバールにミルクを買いに行ったサンドロは、
「マルコッチはスト破りだ」
と落書きがされているのを見つけます。


朝の通勤時、「スト破り」のアンドレーアに誰も声をかけません。


職場や仲間から孤立したアンドレーアは帰宅せず、いつもとは
違う飲み屋で酒浸りの日々。
心配したサンドロは、ジージと一緒に心当たりのある店をまわり、
アンドレーアを探し出します。


サンドロを伴ったアンドレーアは、再びいつもの酒場の扉を開けます。
一時はアンドレーアを敬遠していた仲間たちも、元通りに打ち解けて受け入れます。

ところが、酒で体をむしばまれていたアンドレーアは、その場で気を失って倒れます。


自宅で療養生活をしていたアンドレーアを、ジージが訪ねてきます。


クリスマス・イブ。
アンドレーアの自宅に仲間や近所の人々が集まり、賑やかにパーティーが開かれます。
アンドレーアは得意のギターを弾き、みんなと歌います。


パーティーもお開き。
アンドレーアはベッドに横になってギターを手に、
妻サーラに感謝のセレナーデを弾きます。


ギターの音を聞きながら、サーラは台所でコーヒーの準備をします。

音が途切れると
「眠ったの?」
とサーラは微笑みます。


アンドレーアは眠りました。

永遠に。

   ☆      ☆  

 線路線路上に立つ若い男。
 急ブレーキをかける主人公アンドレーア。

  それまでも家庭内では長女や長男の問題でストレスのたまる日々でしたが、
それが原因で完全に落ち込んでしまうほどではありませんでした。



 ところが、人身事故は違いました。
 そのときからアンドレーアは精神的混乱だけでなく、
家庭的にも肉体的にも危機の底なし沼に落ち込んでいきます。

 そんなアンドレーアを救ったのは、父を信じ続けた次男サンドロと、
粘り強く寄り添い続けた同僚ジージ、
そして家庭崩壊を懸命に食い止めた妻サーラでした。



 ギターによるルスティケッリの哀愁漂うテーマ曲は大変に有名です。

 ストーリーと脚本を担当したアルフレード・ジャンネッティは、
1968-69年の人気テレビドラマ“La famiglia Benvenuti”(第250回、第251回で紹介)
の監督でもあります。

 アンドレーア・マルコッチの家庭とアルベルト・ベンヴェヌーティの家庭の違い、
特に父親のあり方の違いは顕著です。

 作品に登場する列車にも注目です。



 蒸気機関車が路面を走っていたんですね。

   ☆      ☆  

 『鉄道員』はイタリア国内外で大ヒットしました。
 封切りから65年経った現在でも愛されています。
 質の高さは、カンヌ国際映画祭などでも折り紙付き。

 ところが、イタリア国内で受賞はナストロ・ダルジェントだけ。
 これは当時、イタリア共産党シンパの映画評論家が結構な数を占めていたために、
正しく『鉄道員』を評価できなかったことに拠ります。
 彼らに拠れば、アンドレーア・マルコッチのような「スト破り」をする労働者は、
本当の労働者ではないんだそうな。
 (Pietro Germi https://it.wikipedia.org/ による)



   ☆    ★  ☆  ★

 

2021年2月23日 (火)

〈第261回〉イタリアの裏社会の顔 ヴィンチェンツォ・ファランガ

今回は、前々から取り上げてみたかった謎の俳優
ヴィンチェンツォ・ファランガについて紹介します。

 ヴィンチェンツォ・ファランガといっても、
知っている人はごくごくわずかのはず。


↑(中央)  ヴィンチェンツォ・ファランガ Vincenzo Falanga は
          1917年ナポリ生まれ。1997年ナポリで永眠(イタリアWikipediaによる)。

 強烈なインパクトを与える風貌から、主に犯罪者やマフィアの一員の役で映画に
出演していた俳優です。

 確認できる最初の出演作品は、
エリオ・ペトリ監督“I giorni contati” (余命いくばく)(1962年)。

 金のために腕を折る決意をした主人公チェーザレ(サルヴォ・ランドーネ)の前に現れた、
その道の専門家役。




 端役です。
 なのに、すごく印象に残る風貌。


 ファランガの持ち味をさらに生かすことに成功したのは、ダミアーノ・ダミアーニ監督
 1968年の “Il giorno della civetta” (真昼のふくろう)。
 シチリアのある地域に君臨するボスの側近役。
 冒頭の写真のように、真相を暴こうとする北イタリア出身のカラビニエレ(フランコ・ネロ)に、
角のジェスチャー(Gesto delle corna)で挑発します。



 笑う姿がいかにもマフィア。


 エリオ・ペトリ監督は1970年の『殺人捜査』でファランガを再び起用します。
 ある殺人事件の参考人の一人の役として。

 ジャン・マリア・ヴォロンテ扮する警察幹部に目礼するシーン。


ふてぶてしい笑みは、どアップで。



 上記以外にも、フランチェスコ・ロージ、ルイジ・コメンチーニ、ディーノ・リージ、
マリオ・モニチェッリなど、イタリア映画界を代表する監督がファランガを起用しています。

 それはすなわち、ヴィンチェンツォ・ファランガの顔は、イタリア裏社会を象徴する顔として
認められていた証と言えるでしょう。

 なのに、ファランガが映画出演するに至る経歴は、調べても調べても見つかりません。
 舞台出身であれば、映画やテレビで端役であっても、何らかの情報が出てくるのですが、
どうもそうではなさそうです。

 カモッラ Camorra のお膝元、ナポリに生まれ、ナポリに死す。
 強烈なインパクトを与える謎に包まれた男、
 ヴィンチェンツォ・ファランガです。

   ☆      ☆  

2021年2月 9日 (火)

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 ヴォロンテ映画館 Il cinema Volonte' も第260回に到達しました。
 定期号は隔週ですので、1年に26回。満10年を迎えたことになります。

 皆さん、ありがとうございます。

 記念すべき今回は、ジャン・マリア・ヴォロンテを最大限に生かした社会派作品を撮り、
インパクト、面白さ、そして「不愉快さ」で右に出るものがいない
エリオ・ペトリ監督〈1929-1982〉 を取り上げたドキュメンタリーを紹介します。



 このドキュメンタリーは、ペトリ作品に関わったスタッフや出演者、映画評論家などの
コメントが大半を占めているのですが、ここではペトリ監督自身のコメントの一部と、
撮影現場の写真を中心に見ていきたいと思います。


Elio Petri – appunti su un autore

 

イタリア語原題日本語訳 エリオ・ペトリ 制作者についてのメモ

監督 フェデリコ・バッチ Federico Bacci
         ニコーラ・グアルネーリ Niciola Guarneri
         ステーファノ・レオーネ Stefano Leone
音楽 シモーネ・ソルダーニ Simone Soldani
公開年 2005年

DVD(in Italia)“Elio Petri – appunti su un autore”Terminal Video Italia srl.

エリオ・ペトリ
「じゃあ、僕は何なのか?
 貧しい、いや、とても貧しい労働者の家庭の出身。
 僕は本能的に労働者支持を選択する。状況が僕を映画制作に導いた。
 どんな状況か?
 僕が見て愛した何百何千もの映画。
 貧乏人がボクシングをし、軽音楽をし、映画を撮る事実。
 その当時、映画が大衆芸術だった事実。」


“L'assassino”  殺人犯(1961)
  主演 マルチェッロ・マストロヤンニ
           サルヴォ・ランドーネ


撮影現場から




“I giorni contati”  余命幾ばくの日々(1962)
主演 サルヴォ・ランドーネ


撮影現場から



『悪い奴ほど手が白い』 “A ciascuno il suo”(1967)
  主演 ジャン・マリア・ヴォロンテ
          イレーネ・パパス
          ガブリエーレ・フェルツェッティ

撮影現場から




『怪奇な恋の物語』 “Un tranquillo posto di campagna”(1968)
  主演 フランコ・ネロ
          ヴァネッサ・レッドグレイヴ


撮影現場から




エリオ・ペトリ
「映画を撮るためには、今日、たいへんな熱意と強い愛情が必要だ。
 それがたぶん、この仕事の唯一のポジティブな側面だ。」



『殺人捜査』 “Indagine su un cittadino al di sopra di ogni sospetto”(1970)
  主演 ジャン・マリア・ヴォロンテ
          フロリンダ・ボルカン

撮影現場から




『労働者階級は天国に入る』 “La classe operaia va in paradiso”(1971)
  主演 ジャン・マリア・ヴォロンテ
          マリアンジェラ・メラート
          サルヴォ・ランドーネ


撮影前にペトリ監督やヴォロンテらは、ストライキ中の工場に取材に行き、
労働者の生の声に耳を傾けました。




“La proprietà non è più un furto”  財産はもう盗品ではない(1973)
  主演 ウーゴ・トニャッツィ
          フラヴィオ・ブッチ

カチンコを手にしたペトリ監督。




エリオ・ペトリ
「我が人生の最後の時期に、僕は不愉快な映画を撮った。
 そう、もはや皆に不愉快を求める社会にあって、政治・
 社会参加でさえも不愉快な映画。

 それに反して、僕の映画は不愉快の度も超える。
 何に起因しているのか?
 なぜ、こんなふうに映画を撮るのか?
 明らかに、ある地点に到着した感覚のためだ。
  その地点とは、僕の少年時代にあった前提すべてが全く無用になったと思う地点だ。」


“Todo modo”
  トード・モード(1976)
  主演 ジャン・マリア・ヴォロンテ
           マルチェッロ・マストロヤンニ
           マリアンジェラ・メラート


撮影現場から




“Buone notizie”  よい知らせ(1979)
  主演 ジャンカルロ・ジャンニーニ



撮影現場から





「僕はシュトローハイムが好きだ。フラハティは好きでない。
 僕はドキュメンタリーが好きじゃないんだ。笑わせるよ。
 最大の陰謀がある。なぜなら、資料で裏付けられないことを
 資料で裏付けるふりをするから。」


 注:シュトローハイム Erich von Stroheim 1885-1957 
                   オーストリア生まれ。アメリカの映画監督・俳優

        フラハティ Robert Flaherty 1884-1851 アメリカの記録映画監督。


   ☆      ☆  

『悪い奴ほど手が白い』より

 このドキュメンタリーは、エリオ・ペトリ監督の映画作品を中心に作成されています。
 映画紹介やペトリ監督自身のコメントより、映画評論家や関係者と称する人たちの
コメントがだらだらと長すぎて、ちょっとうんざりします。

 ただ撮影現場の様子が分かるので、この点は収穫大です。

『殺人捜査』より

 当館でも第186、187回で紹介した、1978年に放映された唯一のテレビ作品、
サルトル原作の『汚れた手』(Le mani sporcheが紹介されていないのは
本当に残念です。

  “Le mani sporche”より


なお、当館で紹介したペトリ作品は以下の通りです。

“L'assassino” 第74回
“I giorni contati” 第241回
『悪い奴ほど手が白い』“A ciascuno il suo” 第2回
『怪奇な恋の物語』“Un tranquillo posto di campagna” 第75回
『殺人捜査』“Indagine su un cittadino al di sopra di ogni sospetto” 第5回
『労働者階級は天国に入る』“La classe operaia va in paradiso” 第46回
“Todo modo”トード・モード 第77回

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2021年1月26日 (火)

〈第259回〉過去もコロナも吹き飛ばせ!-ジュリアーノ・ジェンマ主演『暁のガンマン』

 年が明けても、新型コロナの話題ばかり。
 外出自粛の日々、本当に憂鬱になりますね。

 せめて、気持ちだけでもスカーッとしたいと思い、今回選んだのは
ジュリアーノ・ジェンマとマリオ・アドルフ主演の“..e per tetto un cielo di stelle”。
 和訳すると「…そして屋根の上に広がる星空」。



 日本ではDVDのタイトルが『暁のガンマン』。
 ところが、当館館主が1970年代にテレビで観たときのタイトルは『さすらいの用心棒』。
 まぁ、マカロニウエスタンの邦題は記号程度の意味合いしかないので深く詮索するのは
やめにしましょう。
 エンニオ・モリコーネの音楽がとても印象的ですね。

 それでは、ジェンマとアドルフに存分に暴れてもらいましょう。


イタリア語原題 “..e per tetto un cielo di stelle”

監督  ジューリオ・ペトローニ Giulio Petroni
脚本  アルベルト・アレアル Alberto Areal
        フランチェスコ・マルティーノ Francesco Martino
音楽 エンニオ・モリコーネ Ennio Morricone
公開年 1968年

DVD(in Italia) “E per tetto un cielo di stelle”Cinema Network

出演者 ジュリアーノ・ジェンマ Giuliano Gemma(ティム)
    マリオ・アドルフ Mario Adorf(ハリー)
    マグダ・コノプカ Magda Konopka(ドロシー)
    ジュリーメナール Julie Menard(サイレン)
    リック・ボイド Rick Boyd(ロジャー・プラット)ecc.


襲撃された駅馬車の遺体を埋葬していたティムを、
たまたま通りがかったハリーが手伝ったことが二人の出会い。

二人はプエブロの酒場で再会します。
ハリーは鉱山で働いて貯めた金を持っていました。


金を銀行に預けようとハリーがティムに案内されて行った「プエブロ銀行」は、
おんぼろの建物にゆがんだ看板、口うるさい銀行員。


街の酒場に現れたロジャー・プラットは一党を引き連れて、
ビリー・ボーイという男を捜していました。
ハリーは「ビリー・ボーイ」の友人として、ロジャーにビリーの行方を尋ねられるのですが…


ハリーは預けた金が心配になって再びプエブロ銀行に行ってみると、
そこはもぬけの殻。
怒ったハリーはティムを探して、半身半魚のサイレンに扮した
旅回りの芸人のテントに乱入。


ティムにうまく言いくるめられたハリーは、小さな町で新しい金儲け、
インチキ電報屋を始めます。
しかし、二人はビリー・ボーイという男を捜し回るロジャーの一党に
見つかりそそくさと退却。


ロジャー一党から逃れるために、葬列に加わり…


大げんかをして家屋破壊の罪に問われ、牢屋に入ったり…


再びサイレンのテントを訪ねたティムはハリーを紹介して…


ハリーの一発芸、火を噴くサラマンダー芸で大衆を沸かせます。


二人はついにロジャー一党に捕まってしまいます。


首に縄をかけられたハリーは、思い残していることをティムに語ります。


ハリーを乗せた馬が走り出す瞬間、ハリーの首の縄が切れ、
ロジャー一党が撃ち殺されます。
撃ったのはティムでした。
残念ながら、弾切れでロジャーには逃げられてしまいます。

ティムはもとの名前がビリー・ボーイであること、ロジャーとの因縁を、
ハリーに明かします。


その後、金鉱強奪に手を貸したハリーでしたが、計画がうまくいくと
強奪犯の男はハリーに銃を向け…


危機一髪のハリー。
彼を救ったのは、やはりティムでした。


ようやく到着したハリーの家。
ボロボロの家を修繕し、苦労して集めた食器を並べて喜んでいたハリーでしたが、
初めての訪問客はロジャー一党でした。


ロジャーは出所した父サムエルとともに、ハリーの家を襲撃します。


ティムは奪ったダイナマイトに火をつけ、家に侵入しようとした一党を一掃します。
ティムは爆発直前に家から脱出しましたが、ハリーは飼っていたウサギを
逃がそうと戻ってしまいます。

爆発音とともに家は木っ端みじんに。


サムエルとロジャーが無傷で生き残っていました。


サムエルはティムをロジャーに仕留めさせようとします。


ナイフを手にしたロジャーがティムに一歩一歩近づいてきます。


キツネ対策用の罠をロジャーが踏んだ瞬間、ティムの拳銃が火を噴きます。
倒れたのはロジャーとサムエル。


もうもうと立ちこめる煙のなかから、ハリーがすすだらけになって現れます。


ハリーの無事に笑みを浮かべたティムは
「オレはおまえに幸運をもたらさない」
と言って、自分はこの地をあとにしようとします。

ハリーは馬に乗ってティムを追うのでした。

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 ジュリアーノ・ジェンマは言うことなし。

 このイタリア喜劇の要素満載のウェスタンの質の高さは、
ジェンマとその脇を固めた出演者に拠るところ大です。

 ロジャー・プラット役のリック・ボイド(フェデリーコ・ボイドFederico Boido)や
サイレンの夫役のサンドロ・ドーリ(Sandro Dori)、
ハリーと金鉱を奪取する男役のフランコ・バルドゥッチ(Franco Balducci)らは、
マカロニウエスタン後も他ジャンルで活躍しています。

 そのなかでも、なんと言っても、ティムと好対照のハリーを演じ、この作品に厚みを
もたらしているのはマリオ・アドルフです。

マリオ・アドルフ Mario Adolf(1930-)
 イタリア人の父、ドイツ人の母をもつチューリッヒ生まれのドイツ人俳優。
 マインツ大学を中退してミュンヘンのオットー・ファルケンバーグ・
アカデミーで本格的に演技を学びました。
 プロデビューはミュンヘン小劇場(Münchner Kammerspiele)。

 どんなジャンルの作品の人物であっても、ピッタリはまる柔軟性を持った
マリオ・アドルフは、イタリア映画に欠かせない大俳優です。


収監中の元殺人犯 “A cavallo della tigre”1961年


へぼいボクサー “Io la conoscevo bene”1965年


廃屋にネコと暮らす変な画家 『歓びの毒牙』1970年


警察の動きに敏感な検察官 『黒い警察』1972年


シチリアのマフィアのボス  “La violenza: quinto potere”1972年


マリオ・アドルフのムッソリーニには高い評価がされました。
Il delitto Matteotti”1973年


悪徳弁護士  “Io ho paura”1977年

 なお、マリオ・アドルフはイタリア語も話せるそうなのですが、ハリーの声は
アルド・ジュッフレ Aldo Giuffré が吹き替えています。




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